南座から六条通りを経て東寺終い弘法へ
末の12月21日(冬至)に東寺の終い弘法まで歩く第5回看板ウォッチングと町並みウォーキングと忘年会がおこなわれた。今回はメンバー12人(会員5人と一般7人)で南座前をスタートする。川端通りを進み団栗橋を渡り木屋町を南下。木屋町通も仏光寺通まで行くと、最初に目立っていた小さな飲み屋風のお店に変わって南下するにつれ大きなお店が増えてくる、このあたりからは大型料理旅館が多くなってくる。昭和初期頃の近代建築や木造三階建の料理旅館などを眺めながら、五条通りをさらに南下する。木屋町通りも仏光寺通りを南に進むと雰囲気が変わってくる。四条仏光寺間の小さなお店にかわりこのあたりは大型料理旅館が多い。最初に出てくるのがこの中華料理大傳月軒。この大傳ビルは結構古い昭和初期ごろの近代建築と思われるスクラッチタイルと各層につけられた小さな軒が特徴的な建物である。お次にでてくるのが田鶴のお隣にある鮒鶴(料理旅館)木造4階建で反対の鴨川の側は川床になっている。続いてでてくるのが鶴清。北から田鶴、鮒鶴、鶴清とくればいくらのんびりしていても?さて何で鶴なとかと思ってしまう。さてなんでかな。鴨川にはサギは良く観るがツルはまあめったに、ほとんど、ぜんぜん見たためしがない。とどうしてもこの辺りを歩いていると立派な建物に目が行くが反対側の高瀬川にも注目して欲しい。さりげなく附けられた川の横の小径がよろしやろ。一人歩きならここをすたすた歩くのもええです。最近は親水性をもたせた河川公園やスペースがはやっておりますがここのはさりげなく慎ましやかでしかもしっかり歴史あるのが値打ちでっせ。
条通には木屋町通りの横断歩道が付いていないので一旦河原町まででてまた木屋町をさらに南下する。すると一番に目に入ってくるのは立派なエノキ。源融河原院址の屋敷の杜の一部だったらしい。これがその頃からずっど代替わりしてないとすると樹齢1000年ぐらいはたっているのだろうか。平安の昔から京都の町の様子をずっと眺めて来たことになる。木は生きているのだ。そっと手を添えておでこをあててみるとなんだか暖かいのであった。続いて高瀬川に渡る橋をご覧あれ!なんとこんな可愛い橋なの鋼製アーチ橋である。(六軒橋)これはかなり貴重な橋である。登録有形文化財クラス。現在の京都アートカウンシルの活動諸点ひとまち交流館を横切ると河原町通りにでるまずは一番に目に入るのがこれだ。どうですこの写真に幾つの「一比売神社」の文字があるでしょうか?これだけ書かんでも?いえいえその数に面白がって入っていくグループがあるのでこの看板は効果あり。六条通を西へ。京の通りの数字の付く通りのなかで六条通は一番地味で目立たない存在かもしれない。車で通れる部分がすくなく貫通していないことも原因かも知れない。地名としても六条は殆ど表舞台に出てこない。日頃あまり通らないこの通りは路地裏探検にぴったりだ。その中でも有名なものは長講堂。後白河法皇が六条御所内建立したのがその起こりだ。ほらこのとおりちゃんと「六」の文字と「菊の御紋」がは入っとります。
条通は河原町からスタートして最初は狭い通りだが途中少し広くなり烏丸から路地になる。とにかく道路幅の変わる道なのである。そしてそういう道らしくこんなガードレールを見つけた。一本足。とりあえず立っている。車に当てられたらひとたまりも無い。ガードレールの役目はたすかしらね。六条通を後にして向う東寺まではまだ時間がかかりそう。弘法さんは4時に屋台が終わるそうなので道順を変更して先に東寺へ行く事に急遽変更。あまり縛られないのが路地裏探検の好いところ。つまり無計画。よって変更もけっこうある。最初みつけたのがこれ京都独特の仁丹の道路看板なんですがこれ注目戦前の琺瑯看板のが「西中筋通正面通上ル」で戦後で現代のものが「堀川通正面上る」になっている。つまり西中筋通が堀川通り替わっているのだ。通りの名前が変わったのではない。たぶん戦時中に堀川通りが広げられて西中筋通を飲み込んでしまって元西中筋通のあったこの場所がいまでは堀川通の歩道になっているのだろう。その証拠として西本願寺さんの大きな門が歩道と車道の間の位置に立っている。つまりは元の西中筋通の部分が旧西中筋通だったのだろう。はいその西中筋通正面通上ルあるのはこれ本山前山本でございます。そう本山西本願寺さんの正面の仏具屋さんございます。ちなみに正面通りの正面とは方広寺大仏殿の正面だから正面通。京都以外の人には説明が要るかも知れませんが、豊臣家滅亡の原因となった「国家安康」と家康を分断したと居ちゃもんをつけられた因縁の大梵鐘があり、大きな大仏さんがいらしゃった方広寺です。今でも京都の街で大仏さんといえばここのことをさす場合があるので要注意。この正面通り。東本願寺さんと西本願寺さんの正面でもあったことに今回の町歩きで気が付いた!

寺の終弘法にはぎりぎり4時には間に合った。すでに仕舞いかけの屋台もあったがまだまだ賑わいを見せていた。終弘法さんは京都の冬の歳時記でもありたいそう人で賑わっている。探検隊のメンバーも屋台をひやかしたり、買い物をしたりして雰囲気を味わう。東寺の終弘法を見学して一行は島原へ向う。行きはJRを千本通りで越えたので帰りは何処を通る?どうせなら違う道でということになり、御前通で越える事にする。終い弘法の21日は冬至でもある。東寺で冬至を迎えた当事者たちここにとうじおう。ようは冬至なので日が暮れるのが早いわけです。団地も暗くなってきました。中央市場を越えてやっと島原付いた頃にとっぷりと暮れていた。でもやっぱりこういうところは灯が入る事の方が味わいあるね。
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