京都路地探検隊がお勧めする洛中町並と町屋めぐり中京・下京コースを選定し実際に歩いてみた
烏丸五条からスタート地点として下京・中京の町並と町屋をみていこう。
地下鉄五条駅を上がるとその南東の角にあるのが烏丸通に面して平入りの大きな町屋である。
ここは京都のメインストリートと国道1号線でもある五条通りの交差点であるからかなり目立つのである。
にもかかわらずここの町屋が話題になることは少ない。
万寿寺通 普通自動車が一台通れる程度。東行きの一方通行。一つ上の松原通は西行きの一方通行。ところでこの一方通行の方向はだれがどのようにしていかなる理由でその方向を決めるだろう。 |
こんな狭い通りそして南北も狭い通りであれば当然のことながらその交差点も狭いものになり、そこを右左折して進入する車も苦労することになる。そんな角地には写真のようなトラックが軒や屋根を当てないような印がついている。 |
河原町通りまでの短い間を結ぶ東行きの一方通行。車一台がようやく通れる狭い路地だ。
全通り中特に目立った物もない、あえていえば富永町にある下京図書館ぐらいだろうか、
その横には小さな公園があった。
そんな街角の風景をのぞきながら歩いていくと先に大きな堀川通り(終点)が見えてくる。
その前の油小路通りをこんどは北へ上ルことにする。東西の通りと南北の通りでは
随分雰囲気が変わるに気が付けばかなりの京都の路地裏探検をしている証拠である。
現在の京都中心の町割りと通りは勿論その原点は平安京であることは言うまでもないが、
その姿は現在には残っていない。
現在の通りの原型は秀吉の改造の時に出来あがった。
真四角の町割りでは中央部が通りに接しない広い空間が出来てしまうので
その間に南北の通りを通し縦長の短冊形の町割りが出来上がったのである。
現在の上京下京(上京区・中京区・下京区)あたりはほぼそんな区割になっている。
そんな町割りでの土地の区分けをすると南北通りに面して東西に長い敷地の町屋が多く
また土地も広い、それに対して東西通りで面して南北に長く伸びる
敷地土地の方が少数派のようだ。よって現在でも名前の残る町屋も南北の通りに面し
ている方が多いといえる。そういう意味では京都洛中の町屋巡りは南北に
力点をおいて廻るのが得策であろう。
秦家 「奇應丸」薬問屋 屋根付看板が二階屋根を割って入り真ん中に鎮座 している姿には見とれてしまう。その左下にはガス灯もある。 妻面が漆喰かトタンが多い京都の町並で 三河・伊勢地方風の木の壁はめずらしくなってきた。 明治二年 下京区油小路仏光寺下ル |
さて話をもどして北に歩いていくと見えてくるのが秦家。
立派な屋根付き「奇應丸」看板が目に入る。
それを見てすぐに又東西の通り仏光寺通りを戻る方向に東に向いて歩いていく。
ここも先ほどの万寿寺通りに較べると随分広い
この仏光寺通りを東へさらに行き烏丸通りを越えたところにその名前の由来になる仏
光寺がある。今回はそこまでは行かないで室町通りを北に上ルことにする。
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北に向くとすぐ左手に見えるのが長江家。端正で間口の広い典型的な京風の町屋である。そのすぐ北綾小路通りをすぐ西にみえるのが杉本家。ここは着いた時ほぼ同時に町屋を研究している風の外国人と若い女性2人の三人組みが熱心に覗いていた。京都の数ある町屋の中でも一番注目されているかも知れない。だだしここは会員制をとっていて通常では中を見ることができない。おなじ古い建物に興味があっても町屋系の人は中に興味があるのであろう。町並み系の私は中についてはさほど興味が無い。むしろ遠方の町並遠征の時は時間的に室内見学をすると時間の浪費になるので極力しないようにしている。杉本家の大きな敷地は裏にも路地を配しているので、その裏をまわって四条通りに出られる。杉本家の大きさを改めて実感する。もちろん間口もたいそう長いのだがその奥行きの深さには改めて驚かされる。その裏路地にはいくつもの町屋がならび京都らしい風情を作っているのだが、そこを抜けると京都の東西のメインストリート四条通がある。裏路地から突然現れる都会の喧騒はちょっと面白い取り合わせてある。このコースは以前の町並集団いらかぐみのオフ会で七ちょめさんに教えていただいたコースである。その時は四条からその路地をはいって抜けでたのか「杉本家」だったのでキツネにつままれたようになった。なかなかの演出をしていただいた。町並探訪にはアプローチも楽しみの要因になることを教えていただいた気がする。 杉本家から四条通に抜ける路地 |
長江家 袋屋 京都市指定文化財 表屋造で間口が長く厨子二階の虫籠(むしこ)窓の色合いと造形が美しい。 下京区新町通仏光寺上ル船鉾町 見学要予約(土、日、祝) 075-351-1029 出格子と駒寄せ。京都の町屋で一番 標準的な糸屋格子。形状は1本通しで 2本切子の切子通しこれを京格子と呼ぶ。 軒は出桁造りにはなっていながかなり深い。幕板もしっかりあって日差しがはっきりしている日は暗い影がさす。直線のシャープな面をつくるが、それをやわらげるかのように屋根はには必ずむくりがつけられている。 |
杉本家 御服商「奈良屋」京都市指定文化財 明治三年 店の間(店舗)が表にあり中庭の奥が住宅になっている。 下京区綾小路通新町西入ル谷田町 見学は奈良屋記念杉本家保存会に入会のこと 格子と犬矢来と駒寄せで構成された空間が単調な壁面を豊かな空間に変える。 長い間口のまんなかに挟んだ小さな玄関の屋根が、ケラバをかけあいをして単調にならないように造られている。これは構造上だけではなく通へのデザイン的配慮に思える。 |
京のきもの屋四君子 この写真からはみえないが二階の屋根のうえにモダンなドームが付いている。 こんなもありか。 明治4年 下京区四条通西洞院東入ル南側 京染会館 角地部分の曲線と階段部分の窓の処理が 昭和モダニズム建築の様式がよく出ている 昭和12年 山田工務店 鉄筋コンクリート造り四階建 最近一回部分にスーパーマーケットが入店 して赤いテントが華やかさを添えている 四条京町家 総二階建てだが右半分の二階が虫籠(むしこ)窓になっている。土壁色と柱の木の色いぶし銀の屋根と暖簾の紅と紺がいい色あわせになっている。 四条新町上ルの町並風景 四条通を一歩はいればまだまだ町屋健全なり。 |
四条通四条新町 にでてから今度は西に四条西洞院角にあるのが近代建築が京染会館。現在は近いはスーパーマーケットが入居して健全だ。四条通も東は祇園石段下から始まり、南座・高島屋・さらには京都の中心的繁華街そしてビジネス街の烏丸と都会的な町並が続くのだが、ここ新町あたりからはややそれも変化して。マンション、雑居ビル、学校そして町屋など低層家屋などが増えてくる。それも表通りのことで一歩四条通を北か南へはいるとまだまだ二階建が大半をしめている。そこは昔から面々と続く町並がが今でもしっかりのこっているのだ。そのあたりを期待しながらまずは通りを渡り東へまた新町までもどることにする。その途中にあるのが「四条京町家」。ここは四条通に面する唯一の表屋造りの町屋として現在は町屋塾として公開され、イベントや京都の生活や伝統などを学ぶ場となっている。さてその「四条京町家」を越えて少しいけば先ほどの新町通まで戻って来たことになる。そこからまた新町通を北に上ルことにしよう。先ほどから歩くこの界わいの一帯は祇園祭りの鉾町としても有名な所で特にこの新町通と一つ東の室町通は鉾と山のある町すなわち鉾町でもある。いわえる町衆とよばれる商家が多いところなのだ。職業的には糸偏とよばれる産業。着物屋・帯屋・などの問屋街である。最近は京都と言えど着物離れが進み室町の景気がかなり冷え込みここ数年老舗と呼ばれる会社がたくさん倒産をするなどあまり明るいニュースがない。大阪の繊維と京都の着物ともに衰退産業で関西経済の低迷の一例でもある。 |
百足屋(おばんざい専門料理店) 明治中期ごろに建てられた元呉服商の店舗を改築して料理店したもの。こんなお店でてがるに町屋でごはんがたべられるのはたのしい。 中京区新町通錦小路上ル百足屋町 075-256-1039 定休日水曜 |
吉田家(無名舎)二階部分にも千本格子が入り 壁面が渋い色合いで締まった。一階中央部には「ばったり床几」 見学要予約 中京区新町通六角下ル六角町 075-221-1317 |
松坂屋 京都営業部として現在も使用されている。また同じく三越百貨店の前身越後屋呉服店の創業者でもあり三井財閥の創始者三井高利のルーツがあったのもこの付近だ。 中京区新町通六角下ル六角町 | ||
町から北へは今でも大きな見るべき町屋がたくさん残り町並みとしても比較的綺麗に残っている。まず左手に出てくるのが角地の小振りな町屋を改装した「百足屋」むかでや現在はおばんざいが食べられる御食事処になっている。このように比較的気軽に町屋と触れ合うことができる飲食店や店舗などの再利用がいいと思う。本来町屋は店舗付き住宅なのであるから理想は店舗があってそこに主人の自宅であるのが一番本来の姿であろう。町屋保存博物館になってしまうと人の気配がなくなってしまう。死んだ剥製のような状態である。やはり生きた町屋であるのが一番。その先を少し上がると吉田家がある。ここは予約をいれて室内を拝見する事ができる。その反対側あたりにあるのが松坂屋。紫織庵(しおりあん)とこのあたりにはかなりの由緒ある町屋が残っている。連続性のある町並みを形成するほどのはないのだが、それでも都心という事を考慮すれば、また他の洛中地区と比べてもそのレベルの高さかれいえば上位の方にあたるであろう。 | ||||
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