原町五条からスタートをする。今回の目的地は京都市交通局壬生車庫までの数キロ足らずの短いコースである。スタート地点からの方位は北へ西へ通りを取るコースになる。まずは西へ2筋目麩屋町通りを北にむいて行くことにする。今日はあいにくの雨になった。雨降りは傘の為に片手をとられてしまうので何かと町歩きには不便になる。傘を差しながらのカメラ撮影はほんとに不細工だ。専門のカメラマンなら助手が傘を差したりするのだろうか。すぐのところにある小さな社を越えて一筋目は万寿寺通り。この万寿寺通りは元々狭い路地なのだか特にこの富小路通麩屋町通間は最も狭く乗用車一台がやっとの道幅である。なぜここは特に狭いのだろう。京都の道は本来碁盤の目で形良く通っているのが普通なので斜めや変型した通りは古くには何から理由があってそうなった歴史が隠されている。そのあたり研究すれば面白いのだろうがまあ気にはなりながらも先へ進むことにしよう。次は松原通りを西へ折れる。この角の交差点の電信柱は数ある京の町の電柱でも飛び切りの賑やかさなので興味のある方はぜひ注目されたらいい一級の品である。もっとも電信柱は嫌われ者でこれがなくなって困るのは散歩の犬と町並み画家ぐらいでしょうか。私などは町並みの絵を描くときこれが遠近感と雰囲気をだす小道具としてなくなると困ります。松原通は実は結構重要な通りであって四条五条間では唯一東大路から西小路までの東西を貫通する通りであり比較的商店の形態を残す通りである。東山通りの交差点は清水道と呼ばれ其処からは清水道となって最後は清水寺で終わる。昔からこの通りは京の街中から清水寺へ参る参拝道としての役割があったのかもしれない。そんなことを思わせるような興味の尽きない通りではあるが松原通りとはここでお別れをして、次の交差点高倉通りで又北へ歩いていくことにしよう。正面に見える大きな伽藍が真宗佛光寺派本山佛光寺である。「阿弥陀堂」「大師堂」をはじめと見事は諸門からなるこの伽藍は京都市内中心部では東西本願寺を除けば右にでるものがないぐらいに大きいものである。付近で言えば洛央小学校や大丸百貨店などより大きな敷地面積をほこる。鐘楼から鐘の音が響きあたりの空気を震わす。こういう雰囲気はやはり町歩きならでは味わいだろう。町歩きは五感で楽しむことが大切だ。暑さ寒さ、風のそよぎ、町の喧騒、そしてお腹が空けば途中見つけたお店に入る。出来るだけ地元にとけ込んだ店の方がいい。もちろん目から入る情報が一番大切だ。ちょっとした下調べはいいがあまりガイドブックに頼らないこと。自分の目と心で何か面白いものを見つける気持ちも忘れずに。けして躍起になって探す必要はない。そういう心さえ持っていたら対象物から「見てみて〜」と誘いかけるようになってくるものだ。さてここから西を見ると日航プリンセス京都と続いていく。烏丸高辻の北東角といえば長らく「日動火災海上ビル」があったのだが最近あの黒灰色の陰気なビルが「京都銀行本店東館」となりイメージが変わった。大きな交差点にある建物でちょっとしたランドマークとなっているので最近は一瞬戸惑う。ちょっとビルの色を塗り替えて看板を変えてしまうだけて随分雰囲気が変わってしまうものだ。その烏丸高辻から南西にみえるのが京都銀行本店ビルである。この京都銀行本店のような戦後建築はかなりの数たてられいるのだが意外にも現存するものは少ない。明治、大正、戦前の建築物は震災や戦争を生き延びた名建築は保存されてるいるものも少なくはないのだが戦後のものは歴史的価値やのっぺりしたデザインなどで特段人々の関心も薄い中ひっそりとその役目を終え建替えられる物が多いのだろう。烏丸通でもたくさんあった戦前のビルでさえほとんど保存されることなく取り壊されいる。そういう意味でもこのビルもいずれ社会的陳腐化がくれば構造的な問題がなくてもやがて建替えられるような気がしてならない。烏丸高辻をさらに西へ松原通りを少し歩くと見えてくるのが京都市立成徳中学校、昭和6年建築、RC造り3階建)ここは広い間口で高辻通りに面しているのでアーチ型の窓とツタの絡まる校舎が印象的で大変目立つ学校建築である。すでに都心部ではたくさんの小中学校が廃校、統合で多くの名建築が失われた中では貴重な存在であろう。ここを観終わってから新町通をまた北へ、そして今度は仏光寺通りを西へ進めて行く。もはやマンションや立替が進み町並みがほとんど消えかかっている京都においても比較的町屋が続くのが新町通になるだろう。とはいってもとても町並みとはいいがたい。ジグザクに歩いているので忙しいが今度は西へ鳥仏光寺通りを観て行こう。仏光寺通りは比較的地味通りでちょっとした伝統工芸の店があるぐらいだ。やがて堀川通りを越え、千本通りにつきあたると平田ビル、が見える。このビルは以前は平田タイル店のビルだったように思うのだか現在は一階には酒屋が入居しているようだ。賃貸ビルになっているのかもしれない。さらに西へとるとお寺さんの敷地が続き壬生川通りとの交差点に到着する。ここまでくれば目的地はすぐそこだ。北に向いて歩くとすぐに嵐電本線の踏み切りが見える。歩いていると丁度踏切が鳴り出した。町並み探訪をしているときはけしてあわてて渡ってはいけない。がラッキーと思って通過する電車にも注目してみよう。派手な電車が横切っていく。四条通にかかると正面北西角にあるのが都市機構坊城アパートが見えてくる。敷地面積一杯にそびえたつ都会的な建物だ。窓に一つづ設置された空調機、屋上のアンテナ、フェンスがすばらしい。はがれかけたタイルを丁寧に補修されその部分の色目がくっきりと違うのがいい。そのアパートの先にも壬生第二坊城団地がある。こちらは少し新しい感じだ。そしてその先にみえてくるのが今回の最終目的地京都市交通局壬生車庫である。ここは京都市電の発祥の地であり長らく市電の車庫としてまた市電廃止後はバス車庫として交通局舎として利用されておりましたが老朽化と地下鉄の天神川延長にともなって、右京区へ移転することが決まり。いずれはここも解体されることになるでしょう。(1956年)
万寿寺通りでも最狭を誇るこの狭さ。なんでここだけこんなに狭いのだろう。

なかなか見事な立体芸。

観光化していない京都の大寺院仏光寺さん。
しかしその名は仏光寺通りとしてもひろく知れ渡っている。

昔I love kyoto 今長い〜おつきあい。
京都市内は一時たくさんあった地方銀行が
都市銀行に吸収されて地方銀行がなかった
時代府北部からやってきたのが京都銀行。

数ある京都市内の学校建築でも露出度はナンバー
ワンのとにかくレトロでカッコイイ。

中がどんな感じなのでしょうね。一般的にいって住宅の場合できた当初に入居した住民が長くいる場合が多いので古い住宅には高齢者、新しい住宅には若い世帯が入っているのだかここもそうなのか。
典型的なモダニズム建築なんだけどな勿体無いですね。近代建築に較べるとのっぺりした装飾のない意匠は一般の人にはその良さは理解されにくいのも事実。    
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