正月からはじめた新しいシリーズ。最初は勢いが大切なので1月10日に
鞍馬に行くことにした。


門前は叡山電鉄の終点鞍馬駅を降りてすぐ
鉄道敷設昭和3年12月1日に宝ヶ池〜鞍馬間(8.8km)で営業を開始で
最近のことだ。一般的に鉄道の黎明期から戦前までは参宮や寺院詣線は
重要な路線であった。京都でもここ叡山電鉄。京福電鉄嵐山線・北野線や
京阪電鉄宇治線あるいは阪急電鉄嵐山線などみなその例にあたる。
かつてあった愛宕山鉄道(嵐山と愛宕山)を結んでいた鉄道もあった。



鞍馬寺(箇条書き駒札)

●鞍馬弘教・山号は松尾山本尊は毘沙門天
●鑑真の弟子鑑禎が毘沙門天を祀ったのに由来
●毘沙門天三尊像は国宝

■大山祭1月5日・初午祭2月初午日・稲荷祭4月20日前後・御田植祭6月10日・火焚祭11月8日




叡山鉄道終点鞍馬駅。なかなかレトロなターミナル駅舎しっかり天狗の面があった。そしてストーブを囲む様にベンチが置かれているのがいい。
 
鞍馬の火祭で有名な由岐神社の松明が展示されている。かなりでがい。火のついた松明をふりかざして練り歩くさまはさぞかし勇壮であろう。

鞍馬へ来るのは久しぶりのことになる、もう10年も来ていないかもしれない。
その割にはあまり以前と変わっていない、叡山鉄道の車両が新型になったのと
駅の改札が自動改札機でで無人化した事ぐらいだろうか。
駅前の門前も変わらぬままだ。普通このぐらいの寺のある門前ならもっと
観光地化してしまうものだがなぜだろう。たぶん京都の町がちかくにあり
観光地が多いのでここまではその波が押し寄せていないのであろう。
鞍馬街道はこの鞍馬寺の門前だけは鈎状にクランクになり仁王門の正面通りに
なっている。門前の通と正面の関係はこのタイプより省略型がT字路タイプかもしれない。
どちらにせよ門前町の中心となる場所なので一番道もひろく立派な町屋が連なっている。
さて仁王門からまずは鞍馬寺をお参りしてみよう。ここの一番の特長は
なんといっても本堂へいくのにケーブルカーが利用できる点が挙げられる。
乗車の前に乗車票を購入する。法律的にはここは鞍馬寺が鉄道事業法に、基づいて運行している事業者
というめずらしい鉄道である。したがって運賃になるのだがお寺的に言えば
山内を維持管理するための協力金をだしたお礼にケーブルカーを利用してもらう
ということになる。たいていの参拝者はこのケーブルを利用するようだ。なにせ九十九折の坂を
あるいて登ると約30分、ケーブルだとたったの3分なのだ。
近そうにみえて実際は遠い。
そのことは清少納言が『枕草子』に、近くに見えて遠きものとして「鞍馬のつづらをりといふ道」で書いている。


安全索道製の立派ケーブルカー
高野山は南海電車で男山岩清水八幡宮は京阪電鉄が経営
しているがここはお寺さん自身の経営で大変珍しい。

多宝塔「ケーブル多宝塔」駅前にあるがケーブルから降りる全員が見向きもせずいっていまった。なかなかいいスタイルの塔なのだが、歴史的、あるいは文化的価値は低いのだろうか?多宝塔自身より「ケーブル多宝塔」いう駅名として有名である。


乗客全員に見放されたかわいそうな多宝塔。その乗客が向かったのは本堂である。当然ながら社寺めぐりやお参りはその本尊か祭神を拝みに行くわけでそれまでに余所見をするのはあまり行儀がよくないのである。参道の出店があっても、まずはお参りをしてから帰りによるのが当たり前である。そういう意味では多宝塔は随分不幸な位置にあると言える、帰りは歩いて帰る人が多いのでそちらへは行く人が少ないからだ。境内全体の印象なのだがなんとなく神仏習合というか寺なのか神社なのか曖昧な感じ。もちろん境内に由岐神社が鎮守社としてあるのだが、それ以外にもあちこちに感じられる。平安京の時代は北方の守護神としてまた戦国時代は武神として一般庶民から信仰されてきたのも理由かもしれない。だいたい日本人の宗教観はそんなに割り切れない多神教の国なのだ。クリスマスを楽しみが済むとお寺にいって除夜の鐘を聞いてから神社で柏手を打って初詣。結婚式は神式で葬式は仏式というのもまったくOKなのだ。西洋人やアラブ人は砂漠の論理だから岐路の選択がロジカルで一神教なのだ。一つの決断が生死を分けるのであるその一つの神を信じて決断選択をしていくのだ。森の論理の我々日本人は森でさまよう様にいろんな選択肢があり、どちらへいってもそれなりの運命がありまたそれでよし。いろんな迷路を迷ったあげくまた一緒に合流するのもありだ。神様だって森にもいれば川にもいる草花にも神様がいる。その場その場でいろんなものを信じていけばいい。曖昧な霧と霞と雲の中でおぼろげな風景のなかで生きているうちに森の論理がはたらくのであろう。その神様に対する曖昧さは西洋人からみればアンビリーバボーなのであろう。などとこの寺とも神社ともつかぬ空間の九十九折をくだっていくと見えてくるのが由岐神社である。

 
これが本殿。昭和20年に焼失した為同46年に鉄筋コンクリートで再建された。そのころはなんでもかんでも鉄筋コンクリートを利用した時代。お城でも今再建なら木造にするのだが、当時は鉄筋コンクリートのほうが優れていると思われたのだろうか、鉄筋コンクリートはたった100年で寿命が来る。本殿正面から南方面を眺めると比叡山が。都の
鬼門が南にみえる鞍馬ははやり北方鎮護の地
である。ここからみると姿も随分変わって見える。


こんな可愛い滝壺で滝行するやついるのかね?
危険もあるだろうがこんな観光寺で滝行
されたらちょっと迷惑なや。
もっと山の中の秘境でせなあきまへん。


レトロチックな消火栓がある。仁王門三間一戸、入母屋造りで桧皮葺。
明治44年の再建

神前の木製灯籠(名称がわかない)がならんでいるので神社のような雰囲気本堂など境内全体に丹塗のものが多かった。


本殿は典型的な流造り
由岐神社は鞍馬寺の鎮守社であり、京都三大奇祭の一つで有名な鞍馬の火祭りをおこなう神社である。観光客的流で行けば鞍馬寺の受付で拝観料を払いケーブルカーで本堂から九十九折れで下ってくるのが普通なので、この由岐神社は裏の方から歩いて脇から入って拝むことになる。そして拝殿をくぐりぬけてその先から正面を見ると、真ん中の写真の様な杉の神木が正面に見えてくる。やはりここはケーブルカーではなく一歩一歩坂道を清少納言のごとく近くに見えるのにえらい遠いなあなどとつぶやきながらのぼってここに到着するのが本来の姿であろう。最近は此処だけに限らずなんでも簡単に安易にしてしまいがちなのだが、それで便利になったとおもっているが案外その分その喜びを享受していない現在の生活を考えさせられる。なんでもそんなにうまい話などないのである。便利と文明の発展が豊かさと幸せをもたらすと安直に考えると大きな落とし穴があることに心しなければなるまい。京都市の街中で降った雪はたいていその翌日ぐらいに溶けるのだが、ここはさすがにまだしっかり残っている。
本殿の流造の大きな屋根にたっぷりたまった雪が暖かさで溶け、時々「ドザ」と大きな音をたてて落ちていた。しっかりその事は注意した案内が張ってある。お参りをしていて雪がドサでは洒落にならない。
境内を出てから左手にとり町並にそって歩いて行くと、すぐに鞍馬川が見える。花背峠から南側がこの川の分水嶺になってそのあたりの雪溶け水を集めてくるのだろう、峻烈で清い流が印象的である。


拝殿は桁行六間・梁間二間の単層入母屋造り
中央一間を通路とした割拝殿。崖に対して
舞台造りになっている。めずらしい建物
土地の条件をうまく利用した建物。

雪溶け水を集めて清らかに流れる鞍馬川


由岐神社(箇条書き駒札)左京区鞍馬本町

●祭神は少彦名命・大己貴命
●王城の北方鎮護のため、宮中から勧請したとされる
●別名靫明神
■例祭10月22日鞍馬の火祭り


一方町並の様子というと基本的には京都市内市街地の町屋の形式と近いものであるが、雪の多い地区の特長で軒が深く
格子なども比較的太いように思われる。またここの特長の一つとして二階部分にも格子がある町屋がみうけられる。
出格子が少ないのも特徴。由岐神社と鞍馬寺の門前町として始まり、都と丹波・若狭をつなぐ
鞍馬街道の中継点として沢山の物資の中継地点として発展し、「舟のない港」と言われるほどであった。
現在ではもちろんその面影は残っていない。観光地としても京都においてはさほど訪問者のおおいスポットでは
ないのでみやげ物店も少ない。鞍馬名産の木の芽煮の店が数件並び工場や店先から炊き込む良い匂いが漏れてくる。
通から町並の屋根の向こう側に見える山々の緑が迫ってくるのが印象的な町並である。この鞍馬の地名の由来は
それらの山に囲まれた暗い部分という意味で暗い部(くらぶ)闇部(くらぶ)から転じたもので、
その山の容が馬の鞍に似ていることで鞍馬の字が当てられた。なるほどそう思わせる山々のすがたが美しい。



山の端と屋根のラインがうつくしい
 
仁王門から南側を眺める。わずかながらの土産屋
 
うだつと煙り出しのある民家。平屋建はめずらしい

重要文化財指定瀧澤家と木の芽煮のくらま辻井

山の容が美しいく町並の屋根と空を埋める

集められた雪や屋根にも残る残雪

 遊野隊長の用語辞典

神社建築と流造
社寺仏閣といえばイメージでは古くて時代がかったところが価値があり崇高と
思いがちだが、元々神社に限って言えば伊勢神宮の20年ごとに建て替える
「式年遷宮」があるように常に清く清潔に保ち新しく建て替えをするのが
本来の形であった。したがって神社建物自身の多くは何度も建て替えをしているので
以外と新しいものが多い。現在国宝・重要文化財に指定されている神社本殿で
古代の物は宇治上神社のみである。
様式から見れば神社本殿の約六割が流造である。あとは春日造・入母屋造・切妻造・権現造・両流造と続く
流造りとは切妻の平入り部分の正面の屋根の真ん中部分が曲線的に長く流て伸びて
向拝になったものである。



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