北野白梅町からキタオオジタウン(京都人の京都知らず)
都路地裏探検の今回から京都アートカウンシルのメイン事業の一つとして開催されることになった。副題として「京都人の京都知らず」という命題をもっていざ北野白梅町をスタートする。たしかにこの副題どおりほんとに何も知らないのが現状である。知れば知るほど奥の深い1200年の都としてまた日本史の表舞台としての蓄積を行くたびかの戦火をかいくぐり現在に継承する町並み。その片鱗を垣間見るアプローチとして町にでてみようというのが今回の企画である。まず最初は一条通を東へスタートする。いきなり出てきたのが地蔵院椿寺やはり京都の町並み探訪でお寺さんははずせない。またお寺さんは町中でもオープンスペースでもある。もちろん檀家寺になっているところもあるので基本的にはお邪魔させていただく気持ちが大切であるが割りと自由に入ることが出来るのがうれしい。皆それぞれ思い思いに気になったものを撮影する。今回は初回と言うこともあって気楽に記録が取れるデジカメを持ってきていただいた。季節のいいころならスケッチなんかもいいかもしれない。でここで私が気になったのはこれ!路上観察学的にいうと文字物件。日頃看板に興味をもっているので風景よりもコピーに反応してしまう。「防犯カメラ作動中◎お手回り品にお気をつけ下さい」というコピーです。どうです、なにも感じませんか?そうです。「 ◎お手回り品にお気をつけ下さい」と書かれているのがおもしろいと思います。これがなく「防犯カメラ作動中」だけならどうです?ほら監視されているのはあなた!あなたがお寺さんから何かいたずらするんじゃないかとひっそり覗かれいる感じを受けませんか?ところがどうでしょう!「 ◎お手回り品にお気をつけ下さい」とあればこんどは拝観されているお客様を置き引き犯人から守ってあげてますよというアピールになって「あらここは安心できるように気配りがいいわね」となりませんか?そうすると不快な感じがしなくなるから不思議ですね。こうした一言をそえるだけですが随分気配りを感じる事ができます。しかももちろん本来の目的のいたずら防止も出来るわけです。私はこのコピーがとても気にいりました。では今回の地蔵院椿寺に「いい看板で賞」を差し上げたいと思います〜。拍手パチパチパチ。
椿寺を出るとすぐ北側にあるのが大将軍八神社が見えてくる。そしてその中で祭礼が行われてる。さてなんのお祭りでしょうか?そうです23日です。勤労感謝の日のカーニバル?祭日祭?それでは答えになってません。ズバリ×です。正解は新嘗祭ですね。この季節収穫を得たことを神さまに感謝するお祭りで古くは『古事記』にによると天照大御神が執り行ったとか。この厳しい経済雇用情勢で毎日お仕事が出来てお飯がいただけるのは本当にありがたいことでございますね。ありゃまあ勤労感謝の日もそういう意味では新嘗祭がルーツなのかも?そしてこの大将軍八神社で発見したのが西大路七社巡りです。ごぞんじですか?西大路通の両側にある7社を元旦から2月末日まで2ヶ月間に廻って朱印を受けて御利益を授かろうというもの。なんだか歴史ある行事のようにおもえますが実は昭和58年に出来た新しいイベントだそうです。ようはスタンプラリーですがこういうのもなんだかそれらしくみえるのが京都です。でその七社とはわら天神宮・平野神社・熊野神社衣笠分社・大将軍八神社・春日神社・若一神社・吉祥院天満宮。お正月に廻りましょうか?もちろん路地裏探検兼ねてね。遊野さん今回のテーマの町並みの景観といい看板悪い看板はいかがでした?はい勿論いいのがありましたよ。今回は見て廻ったメンバーで最終打上げをキタオオジタウンで開催して成果発表会をいたしましたが素敵な景観と好い看板が多かった。見て嫌な雰囲気は嫌いなシーンは少ないというのが結果でした。
以前にも推測したとおり自動車から見る看板は大きく目立ち不快だが歩く目線の看板はおっとり優雅に目にもやさしいのが多いという推測が裏づけされたかもしれません。そんな楽しい路地裏の看板たち
条通り商店街を抜けて今度は五番町界隈を見てみようと言うことなりそちらへ歩いていく。それでもなぜかしら皆話に夢中?ああ違う!メンバーさんの買ったおすそわけいただいてあつあつトロトロのたこ焼きを口にほりこみながら歩いているうちにあららいつの間にか千本通りまで何事もなく出てしまう。そしてたどり着いたのが千本中立売である。京都の交差点名はそのまま地名にもなり、大路小路のグリッドパターンに縦横に通る通り名を冠する地名が散りばめられており、京都の人は律儀にその地名を省略することはほとんどしない。四条烏丸、烏丸三条からはじまり、中立売智恵光院、東大路鞍馬口、白川通北大路など南北と東西の道路交わる交差点分の地名が出来上がる。そんなかなでここ千本中立売はきわめてまれに省略をされて千中(センナカ)と呼ばれる。かつて西陣の勢いがあった頃から戦後、昭和40年ごろまでだろうか、ここセンナカはたいそうにぎわいのある繁華街でそう四条河原町かセンナカかと言われるぐらいの京都の二大繁華街であったほどのだった。その後市電の廃止、西陣の衰退、また郊外電車などのアクセスもなく急速に寂れていく一方で今では他の町並みと較べて取り立ててにぎわいのある地域ではなくなった。
それでもかつての名残をとどめるような懐かしい店先が現役で頑張っているのはうれしい。
の通り名になって浄福寺ってここのことだったんですね
広い境内には諸堂がならび行き届いた掃除で綺麗にされていた。
お坊様に寺の歴史や近所の景観の変化をお聞きする
ここからも随分マンションが見えるようになりました
今出川通りは特にマンションの高さが目立つ。おなじ高さ制限だとしても堀川通りや五条通りの様に幅の広い通りとこの今出川通りのような狭い通りではその圧迫感が全然違う。すでに南北とも制限高度一杯まで建てられたマンションがまるでグランドキャニオンの様に立ちはだかる。考古資料館では平安京以前の土器などが展示されているのを見学する。その後今出川を東へ進め、白峯神宮に到着した。ここは蹴鞠で有名な神社で愛称としてサッカー神社ともいわれるぐらいになりサッカーを始め球技一般上達の神様として沢山のアスリートもおとづれるのであろう。そこを左折して今度は北へ小川通りを北に進める。寺内小川まで来ると庶民的な町並みはそこで終わり。左には宝鏡寺、本法寺、右には表千家の不審庵と裏千家の今日庵が並んでいる。京都でももっとも格式のある町並みといえそうだ。うれしそうに写真を撮っているとガードマンににらまれたのでそそくさと北のほうへ逃げ出す。
上霊前通を歩いて北側には大きな敷地を持つ妙覚寺、南側には巨大な甍のお寺(妙顕寺)が見えてくる。新町紫明では京都教育大学の同窓会である紫明会館で開催されていた写真展を見学してその後目的地点キタオオジタウンに到着。
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