阪急烏丸駅の地下駅をでるとすぐ目の前に見える交差点が京都の中心地四条烏丸交差点。手前から東京三菱銀行、住友信託銀行、UFJ、三井京都ビルと金融機関が並んでいる。もっとも今は東京三菱銀行が建替え中になっている。さてその交差点から南をながめれば旧京都丸紅ビルが見える。というより今はCOCON(ココン)烏丸といったほうが聞こえが早いかもしれない。このビルは割りとあっさりしたファザードでモダンな感じがするが結構古く昭和13年の戦前生まれである。京都を代表するオフィスビルのひとつである。少し下がって高辻通を西へ一筋目を下ルとあるのが因幡薬師堂である。ここは正式名平等寺という薬師堂のほうがとおりがいい。狂言『因幡堂』『鬼瓦』で有名な薬師堂とはここのことだ。いまは小さな一堂があるのみだが、かつてはあたり一帯の伽藍であった。現在の本堂は明治中期の再建である。松原通を東へそしてさらに南へ下がり万寿寺通を東へと歩いていくこの辺りは比較的に中京にくらべて厨子二階はすくなく総二階建で出桁造りの町屋が多い。時々三階建が混じっている。そのまま歩き続けると河原町通にでる。そこを南にいくと京都の代表的な画材店の一つ画箋堂が見えてくる。立替をしてすっかり現在風の店舗にも慣れたが、昔はすこし大きめの町屋の店舗であった。わたしも画材でいつもお世話になっている店だ。そして五条大橋をわたって鴨川の東へ向う橋上から西北を見れば立派な木造三階建の料理旅館鶴清が目に入ってくる。五条大橋を渡ったところで五条通りは山科へ向うオーバーパスと東山五条交差点となる側道に分かれる。比較的高架道が少ない京都にあっては特徴的な風景だ。そしてこの通自身が東山に向けて登り勾配になるのでこのあたり一帯を五条坂という。町名としてこの名称はないのだが、いわえる地域名なのだろうか。地調べてみるとバス停に「五条坂」が使われていた。その他店名やマンション名などにもありそうにも思う。一旦五条通の北の道を歩くがこの辺りはいわえる碁盤の目にはなっていないので、なんだかいかにも路地裏探検隊的な様子に面白がって歩く。中には絶対地元民しか使わないような家と家の隙間をつないだ都会のけもの道をみつけては進んでいく。「五建ういろ」の別店のような所にでてきたのでそこを南に進んでいくと東山郵便局が見えてきた。その横に架かっている歩道橋を渡る。歩道橋は各地に沢山あるのだがわたるのは子供とわたしのような町並探検人ぐらいで普通の大人が渡っているのはあまりみかけないのはなぜだろう。歩道橋を渡り終えてから大和大路を南へすすむ、途中新築分譲地や古い厨子二階の建物があったり新旧とりまぜた楽しい雰囲気の町並を堪能する。渋谷通をさらに東へ東山税務署の先に見えるこの辺りでは一番目に飛び込んでくるのがかつでのたばこ王村井吉兵衛が『サンライズ』の製造工場跡で現在は関西テーラーという名前になっている。その先に古い町並が残る一帯があり陶器商などがあるその奥にあるのが河井寛次郎記念館である。早速なかを見学してみよう。陶芸には興味かあり教室に通うようになってすでに7年ほどになった。所詮は教室の生徒程度ではあるがただ鑑賞していたときと自分で作るようになってからからは見方はかなり変わったと思う。自分で作ってみていかにその形と色がすばらしいかわかったしだいである。民芸運動で活躍した彼の作品はここ以外では大山崎山荘で見たように思う。「驚いている自分に驚いている自分」という彼の名言がこころに響いてくる。河井寛次郎の自宅兼工房を記念館しただけあって彼の生活を垣間見ることが出来るミニ博物館になっている。奥の庭が広くその奥に素焼きの窯と工房一番奥に登り窯の順にならんでいる。そのあとはさらに東へいくと馬町の交差点にでる。そのまま渋谷街道を少し登ったことので北へ進むこの辺り一帯はその先は五条坂と東大谷になっているので車の通行できるような道がなく人とバイクがかろうじてとおれくぐらいの道が迷路のようになっている。そこをうろうろするがそのまま北にぬける道はなく結局は東山五条の交差点に出てしまった。さてここからはいわえる観光コースを行くことになる。まずは五条坂をあがる、この辺りから随分観光客が増えてくる。京都市美術工芸ギャラリーを越えたところからは清水新道(茶わん坂)がおもしろい。両側の建物は殆どが陶器屋か土産物を扱う店か観光客相手の食べ物屋が大半だ。まあ清水寺といえば京都観光の定番中の定番でそこを歩く観光客を相手にする店が多いのも当たり前なのだが、やはりちょっと異次元である。ここと産寧坂をあるいてその周辺の寺院を見学してざっと2時間その後どこかで食事をしてあとは金閣寺か銀閣寺あるいは二条城や嵐山をみてまわるのが一般的なコースだろう。最近はリピーターは上級あるいはマニアチックなレベルの観光も増えてきたので一概にはいえないが、たいていはこういう観光地だけを廻って京都を見たと思ってそれだけて帰ってしまうのはちょっと京都人としてはちがうんやけどなと言いたくなる。もちろんここは押さえておいて悪くはないのだがちょっと目線をかえてもうひとつ自分だけの京都をもってかえってもらいたいと思う。それはガイドブックにたよるのではなく自分の足と目と嗅覚で探してもらいたいものだ。ここからは観光コースになる。産寧坂から二年坂ここはもちろん過去何回か歩いているわけだが、町並をもとめて各地を歩いてからは初めてである。自分のなかでどのように見る目がかわっているか多少期待感もあった。実際歩いてみると予想通り町並としての感動は薄くなっているのに気づいた。造られ過ぎている、雰囲気に流されている。そういうものをそぎおとしても重要伝統的建造物群保存地区としての価値があるのが疑いたくなる。もともとここは他の保存地区にくらべると歴史的にみても新しい建築群なのでちょっとした改築などではあまり変化がみられない。それでもやはり京都ブランドで一級の観光地という毛並みのよさがあるので選定はされたのだろう。高台寺の脇を北に上り石塀小路をへて八坂神社に到着をする。路地裏探検隊としては円山公園から知恩院に抜けるよりも長楽館をみたほうがよかろうとそちらを覗いてその前の池のほとりでソフトクリームをなめて本日の探検終了としよう。
四条烏丸交差点。京都のビジネス街の中心地。
古くは三条通が金融街であったが道幅がせまく
四条の方が発展した。繁華街も四条が賑わいが
河原町へ最近はまた三条通が注目されている。
近代建築や町屋がお洒落な商業施設やレストラン
に改築。そのことは結構なことがた。町屋ブーム
で単に町屋の利用を金儲けのために利用するの
はやめてほしい。町屋が好きで利用するのと、
お金が好きで町屋を利用するのは似て非なるも
の。その違いはおおきい。

元京都丸紅ビルで現在はCOCON烏丸として利
用される。映画館、ショッピング、カルチャーなどさ
まざまな複合商業施設だ。烏丸御池の新風館とあ
わせ京都の近代建築を利用したあたらしいゾーン
の完成に近代建築ファンとしてはうれしいかぎりだ。
このような利用をされるのは恵まれた事例なのだろ
うが成功してあとに続く施設が増えて欲しい。あたら
しいビルが良くて古臭いものはだめという考えはまち
がっている。効率より好感度の時代だ。環境的にも
古いものをたいせつにつかうことこそ必要である。

因幡薬師堂。洛中では六角堂、革堂とここ薬師堂
が有名。私は勝手に洛中三大堂と思っている。
なんとなく堂と言われる寺は庶民の信仰をあつめて
親しまれている寺が多い。とくにここ薬師堂は一番
マイナーで多少通からはいったところにあるので
いつでもひっそりとしてのんびりした雰囲気が
楽しめる。観光客などみたことがない。

四条より南の下京にはこのような三階建をときどき
見かける、出桁造りの総二階が多いのもこのあたり。
それに一部蔵造さえみかける。関西圏にあって
比較的めずらしい町並だ。京都のなかの東国風景
を垣間見ることが出来る貴重な地域ともいえる。

京都のビジュアルアート系の人なら一度はお世話
になっている画画材の老舗画箋堂。店内にはずら
り画材の宝庫。眺めているだけでもたのしい。
水彩、油彩、パステルからデザイン、陶芸材料まで
なんでもそろう。

鴨川から一望できる料理旅鶴清。桁行が素晴らしく
長い。川床もあるしもちろん旅館だから泊まりもできる。
京都旅行の際は一度ご検討されるのもいいかもしれない

陸橋から流を見るのも悪くない。行く車の流れは
絶えずして、しかももとの車にあらず。停止信号で
よどみいらつくすがたはあわれなり、かつ消え
かつ結びて、久しく 止 とゞ まる事なし。世の中に
ある人と 住家 すみか と、またかくの如し。

京都のドライバーで知らない人はいないとまで
いわれる。有名な関西テーラ。なぜ有名か東山通から
五条坂の交差点を右折するのは渋滞で大変なので
この東の馬町の交差点で一旦左折をしてこの
関西テーラーながめながら渋谷通を西に進み大和大路
を上ル東山郵便局の交差点を右折してバイパスに
乗るからである。抜け道として重要路線となっている。

清水新道土産物屋が沢山ならぶ観光地。それでも
どことなくはんなりしているのはやはり京都ならで
はかも知れない。遠方に見えるのが清水寺の三重塔。

京都の観光スポットでも一番有名なところの一つに
挙げられる。立ち現れる風景、清水寺と高台寺、
八坂神社など有名寺院を結ぶ車の入らない道。
歴史的な町並(重伝建)土産店など観光施設の立地
しやすさ。交通の便。都心との距離など観光地とし
優れた条件をすべて持っている

石塀小路。ようは石畳と板塀に囲まれた小さな路地
裏風景で30年ほど前ならどこにでも普通にあった
風景。だたしその磨かれた粋とセンスはただもの
ではない。ふつうの板塀とはわけが違うのである。
それは都の持つ優れた感性と歴史が生み出す
品位ともいえる。

長楽館「煙草王」と称された村井吉兵衛の京都別邸。
さきほどの関西テーラーは旧村井兄弟商会といって
そのたばこ工場であった建物だ。あちらが工場で
こちらが別邸ということになる。
設計J.M.ガーディナー
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