2日は伏見稲荷大社に初詣にいく。こちらもここ最近は欠かさず行っている。
各都市には初詣人気神社があって東京は明治神宮、名古屋の熱田神宮、大阪の住吉大社
福岡の大宰府天満宮とくれば京都はここ伏見稲荷大社なのだ。
数多くの参拝者をさばく為参道から入りお参りを済まして脇参道から帰る
一方通行になっている。したがってJR稲荷からおりて帰りは京阪伏見稲荷から
帰るのが便利かもしれない。


今年は例年になく多い人出
参道の屋台を見て歩くのも楽しい
二つ鳥居をくぐって参道を行けば最初に見えるのが
楼門(天正十七年)豊臣秀吉が母大政所の病気回復を
願って寄進したといわれる。

鳥居とは一般的に神社の門であるといわれるが、起源については
日本始源説とインド・中国・朝鮮渡来説があって定説はない。鳥居の
語源も「鶏が止まり居る横木」「人が通り入る門」説があり、さだかではない。
(山川出版社図説歴史散歩辞典)


伏見稲荷大社(箇条書き駒札)

●祭神は宇迦之御命大神・佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神
●全国約四万ある稲荷大社の総本山
●秦伊呂具が稲荷山の三が峰に三柱を創祀した
 「山城国風土記」には伊呂具が餅を的にして矢をはなつと白鳥になって飛んで行き、
 そこに稲が生えたのでイネナリ社と呼ばれる。
●本殿は(天正十七年)豊臣秀吉が修理したもので重要文化財指定
●お山めぐり・おもかる石・御茶屋(重文)
■大山祭1月5日・初午祭2月初午日・稲荷祭4月20日前後・御田植祭6月10日・火焚祭11月8日




神礼授与所ここではお札や絵馬・おみくじなどを授かる。この日は京都の学生さんのバイト神官や巫女さんも混じって売っている。
 
拝殿。こちらには伏見の銘酒などが
たくさんお供えされている。

毎年さずか拝殿の前まで来ると沢山のひとがすずなりになって拝んでいる。
そこで賽銭をなげて向拝の前で鈴をガラガラならし拍手をうって礼をするのであるが、
伏見稲荷大社のような人気神社の場合は沢山の人がくるので
賽銭箱は巨大で鈴も沢山あり一度にこなすことができる。
それでもさらにおおくの参拝者が来るのでだんだん詰まって来る。
人間心理でどうしても真ん中で拝みたいので真ん中は沢山のひとが溜まるので
どうしても進むのが遅くなる。端へ行くほど徐々に空いてきて一番端はかなり空いている。
そこで毎年今年こそはせっかく来たのだから真ん中で拝もうと思うのだか
結局流れ流され結局は端から気がつくと二番目か三番ぐらいで済ましている。
ふうっ。
軟弱なのかせっかちなのか、まあ信心は気から端でもご利益が少ないこともなかろう。
それでも来年はちょっと我慢して真ん中狙いでいくなか。


きつね面
初午祭2月初午日や節分の茶席での干菓子
いわいるお煎餅だ。若いころは嫌いだった
が最近は口にふくんだなつかしい甘さが気に入った

伏見人形
元和年間に作られはじめた稲荷参拝の土産の土人形
中央手前にあるのが「饅頭喰」
親が幼いこどもに
「お父さんとお母さんどっちが好き?」
と聞かれて
子供はちょうど手に持っていたお饅頭を2つに割って
「このお饅頭はどっちがおいしい?」



伏見稲荷で初詣を終えて本町通を北き向かう、伏見街道は別名大和街道ともいわれ部分的には本町通といわれる。昔から京・伏見から奈良までを結び、沿線には著名な社寺・景勝地が多く沢山のひとでにぎわったそうだ。いまも絶えず北行きの一方通行の車が通抜けるのだが、今日は一部通行規制がるので割と少ない。その代わり歩行者が多い。この道はくるまより歩くほうが手ころな広さただし車が多いので注意が必要だ。古い町屋、近代建築から商店、小さなビル・マンションからプレハブまで混在している。現在進行形の町並。これから先一番おおきな話題はなんといっても新十条通の完成であろう。現在京都と山科を結ぶ大通りは三条通・五条通と南部の府道35号大津淀線
しかないので朝夕の渋滞緩和に必要であろう。本町19丁目(ちなみに本町は22丁目まである。本町は北は五条通から南は京阪伏見稲荷駅まで約2.7kmもある。おそらく京都では一番長い範囲にわたる町名。おそらく都市型町区分では一番長いし丁数も22で一番では、ほかにあるかしら?)。
東福寺駅南の跨線橋も必見の物件。これをみずして路地裏探検にあらず。このみごとな構造美。東福寺の三門に匹敵すると思いません。こちらは国宝にもならず、重文にもならず、せめて登録有形文化財とも思うのですが。またその下を走るJRの103系もすばらしいどっちもようがんばってるやん。この103系は先祖にあたる101系が鉄道記念物に指定されています。

 
新十条通現在工事中の十条トンネル戦前からの開業医だろうか

最新型町名表示板(横置きタイプ)

伏見街道は町屋やタイル張りの洋館 伏見の銘酒も売られている
東福寺駅JR奈良線と九条跨線橋


国宝三門 みごとな大斗と肘木・雲斗の組物
東福寺は臨済宗の塔頭寺院として京都五山の一つに数えられる。大伽藍を要したことから俗に東福寺の伽藍面といわれる。秋の紅葉の通天橋の紅葉は有名である。車でシーズンに本町通に入るとまったく動かない。「ああ東福寺やねしゃーないな」と京都ナンバーはUターンするのである。京都のためでなく、地元のためでなく観光のあなたの為にいいますが、くるまで行くのはやめたほうがいい。京都駅の100円パークに停めてJR奈良線で一駅の東福寺へいけば電車で5分、乗り換えもふくめて20分で十分いけます。車ならあの渋滞なら1時間でも着かないのんちゃうかな。実際駐車するスペースあるのかね?いったことないしわからんけれど。ここだけにかぎらす嵐山・東山・金閣・銀閣もです。駐車場ないしあっても高いで。もちろん車で京都までは便利だとおもうし、オフシーズンは空いているのだが。まあパークアンドライドでうまく公共交通機関を利用して楽しい京都観光をされることをのぞみます。だいぶ横道それたが東福寺とにかく建物がりっぱ。三門・仏殿・方丈・禅堂などみなその大きさにあっとうされることまちがいなし。奈良の寺院に比べて京都の寺は小振りのイメージがありますがここは別。なんせ名前の由来もでかい。規模を東大寺に教行を興福寺にならって、「東福寺」とつけらたそうだ。当時としてはすいぶんあつかましい大胆な名前のつけかたなのか。いやん東福寺も両寺に並ぶとも劣らない大寺院です。
名称 構造 桁行 梁間 備考
仏殿 入母屋 五間 三間 昭和の大木造
三門 重層入母屋 五間 三戸 国宝・室町
方丈 単層入母屋 七間 五間 国宝・室町
禅堂 単層切妻 九間 六間 重文・南北朝
*ちょっとはこましな資料を
伽藍の諸堂はすばらしく塔頭の数も多くのでじっくりみるととても一日かけても廻りきれない。したがって適当に見ないと果てしない深みにはまりそうなので怖い。ちなみにおもな塔頭の資料をつけて東福寺を終えることにする。
塔頭名 本尊 いわれや名所 備考
光明院 つつじ、さつきの刈り込みの波心の庭 州浜形枯山水
同聚院 十一面観音 モルガンお雪の墓 火除けの信仰
芬陀院 阿弥陀如来 一条経通が父の追善のため建立 雪舟寺
龍吟院 方丈は最古の客殿で国宝 八相の庭

殿昭和9年に再建された昭和の大木造建築
堂本印象の天井画竜

塔頭の一つ芬陀院(雪舟寺) 雪舟好みの庭が有名



東福寺(箇条書き駒札)

●臨済宗東福寺派の大本山・山号は彗日山・本尊は釈迦陀如来
●九条家道が九条家の菩提寺として創建
●明兆の五百羅漢図・大涅槃図
●東司・浴室・六波羅門・月下門・偃月橋・愛染堂・鐘楼・仁王門・十三重塔は重文


東福寺駅の跨線橋を東へ行くと第一赤十字病院(昔は日赤といっていた)がみえてくる。
九条弧線橋を進み二つ折れになって通を進むと東山通になる。とおりが直角に折れていたら
そこが名前のわかり目で九条通と東大路通と名称がかわるのがわかるがここのようになだらかに
カーブしている場合はどこで名称がかわるのだろう?疑問だ。こういう疑問はどうして調べたらいいのだろう
市の道なので京都市の道路を管理している部署だろうかでもこんあこと電話で聞くのも変かな
といつもそのままにあっている。さてどうしたものか。
その東大路通を少し行くと西側に見えてくる森のように大きな木(クスノキ)が新熊野神社(いまぐまのじんじゃ)だ。
たかさ約20m幹周り6.5mの巨木で創建の際、紀州熊野から移植したとつたえられている。



鳥居から見える今熊野の町並
 
小山の様なクスノキは今熊野界わいのシンボル
 
正月飾りなのでしょうか神々しく美しかった

新熊野神社(箇条書き)

●祭神は伊弉冉命(いさなぎのみこと)
●後白河法皇が法住寺殿を鎮守として近江の日吉山王社より勧請したんのが始めとされる
●大くすのきは京都市指定天然記念物
●京都三熊野(熊野神社・熊野若王子神社)
●酒造・医療・縁結び

 遊野隊長の用語辞典
博学な皆様にいまさらではありますが、私自身の再確認と思ってみてやってください。


桁行と梁間の関係
日本の昔からの柱のある木造建築(軸組み従来工法)で間口の方の柱を支える横材を桁といい、
そのあいだの柱のが全部で5つあれば桁行5間となり奥行きの方の柱の支える横材を梁といい、
そのあいだの柱のが全部で3つあれば梁間3間となる。それで桁行五間梁間三間となる。
その建物によって柱間の長さが違うので必ずしも大きさと一致するわけではないが
一応規模の目安にはなる。建てる方からいえば桁行きはなんぼでも伸ばしたり
縮めたりできるのだが、梁間は最初にきめたら後から変えるとこはできない。
京都の町屋はうなぎの寝床で平入りなので梁間が大変長い事になる。
長いということは屋根が高くなりみためが美しいのだが・・・
大きな商家で奥行きが深い場合屋根が極端に高くなることを防ぐ為に
表の店を通側に独立して建てた物を「表屋造」にする。奥が離れで住居になる。
それらの建物の間の小さな中庭が「坪庭」になるわけだ。



塔頭とは
禅寺の僧が住む住宅でそれそれ方丈・庫裏を持ち独立しているものをいう。
京都では臨済宗の東福寺を始め大徳寺・妙心寺・相国寺・建仁寺などに多くある。
名前がXX院とかいわれる場合が多い。あの金閣寺・銀閣寺は相国寺の塔頭である。

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